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3 日本が近代国家への道を邁まいしん進していた明治25年(1892年)。いまだ男性優位の風潮が蔓はびこ延るこの時代にあって、『淑徳』は、女性の自立を掲げた一人の教育者の、燃えるような教育への情熱によって生まれました。 その人の名は輪島聞もんじょう声。我々は尼にそう僧でもあったこの方を、今も校祖と仰いでいます。 校祖は、女性の自立の基もといを『静せいしゅく淑の徳』という、深い知性と、情緒に富んだ人間性とに備わる、高潔な人格に求められ、その涵かんよう養の大切さを繰り返し説かれました。 因ちなみに校名=淑徳が、この言葉に由来していることは申すまでもありません。 淑徳与野高等学校(昭和21年=1946年創立)ではこうした校祖の意思を、時代を超えて、まさに不ふえき易なる教育方針と捉とらえ、単に、大学進学のための勉学にとどまることのない、広く人間性の開発に連れんけい繋する、そんな教育内容を目指しています。 さて、校祖によって始まった淑徳教育の小さな流れは、これをさらに拡大させた、学祖 長谷川良信先生の努力で、現在では、幼稚園から大学までを擁ようする総合学園という、大きな流れにまで発展しました。 学祖は女性の積極的な社会進出と、社会で担う役割の重要性について唱えた方です。 なによりも広い視野をお持ちでした。 本校では今、世界の8つの国々の高校と姉妹校関係や提携を結び、イギリスやオーストラリアへの短期語学研修、あるいは、アメリカ・オレゴン州への修学旅行の実施など、刻々と変化する時勢の流行に応じ、『国際』という舞台で活躍できる女性の育成にも力を注いでいますが、これなどは、進しんしゅ取の気きしょう象に富んだ学祖の姿勢を、今日に受け継いだものといえるでしょう。 21世紀は女性の時代だといわれます。 進んで英知を磨いてほしい。その一方で心の涵かんよう養にも努め、その調和を目指してくれればなによりです。 淑徳与野高等学校に携たずさわる我々はいつもそのように願っています。校長  里見裕輔           輪島聞声先生校 祖1946年  4月淑徳女学校第八代校長・長谷川良信先生が、埼玉県北足立郡与野町に淑徳女子農芸専門学校を開設。同時にその付属校として淑徳高等女学校与野分校を併設。1947年  3月淑徳高等女学校与野分校が淑徳与野高等女学校として正式に認可される。1948年  3月学制改革に伴い、淑徳与野高等学校(普通科課程)として認可される。1949年 11月浄土宗教育資団による経営であった淑徳関係諸校は、大乗学園と合流。学校法人大乗淑徳学園による経営となる。1963年  9月埼玉県与野市円阿弥2-11-26に淑徳与野高等学校新校舎完成。1966年  3月普通科、商業科、保育科の3科を併設した総合高校となる。1978年  3月商業科廃止1985年  3月保育科廃止1996年淑徳与野高等学校創立50周年2002年「淑徳」創立110周年2005年  4月淑徳与野中学校開校2012年 「淑徳」創立120周年2015年  4月埼玉県さいたま市中央区上落合5-19-18(現在地)に淑徳与野高等学校新校舎完成。長谷川良信先生学 祖心の教育淑徳 創立130年 今に受け継がれる建学の精神沿 革心の教育

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