学校の沿革

1892年(明治25年)、輪島聞声先生が「女性の『淑徳(よい徳を身につけること)』を養成したい」と、小石川伝通院境内に開いた淑徳女学校は、その後大きく発展を遂げ、幼稚園から大学までを擁する総合学園になりました。
1946年、淑徳女学校の第8代校長でもあった長谷川良信先生が、埼玉県与野町に開校したのが淑徳与野中学・高等学校の前身です。
「淑徳女学校」創設以来131年に及ぶ歴史に支えられた「淑徳」は、これからもさらなる発展に向けて前進していきます。

明治25(1892)年 9月 輪島聞声先生が、東京小石川表町の伝通院境内に淑徳女学校を開設  
昭和20(1945)年
第二次世界大戦終結
開設当時の淑徳高等女学校 与野分校(現・淑徳与野高等学校)<昭和21(1946)年>
〃21(1946)年
「日本国憲法」公布
4月 淑徳女学校第8代校長・長谷川良信先生が、埼玉県北足立郡与野町に淑徳女子農芸専門学校を開設。同時にその付属校として淑徳高等女学校与野分校を併設
〃22(1947)年
「教育基本法」・「学校教育法」公布
3月 淑徳高等女学校与野分校が淑徳与野高等女学校として正式に認可される
「淑徳」創立55周年 淑徳与野高等学校開校記念祭<昭和22(1947)年>
〃23(1948)年 3月 学制改革に伴い淑徳与野高等学校(普通科課程)として認可される
〃24(1949)年
「私立学校法」公布
11月 浄土宗教育資団の経営であった淑徳関係諸校は、大乗学園と合流。学校法人大乗淑徳学園による経営となる
〃25(1950)年
朝鮮戦争
改装された淑徳与野高等学校小村田校舎<昭和35(1960)年>
〃26(1951)年
サンフランシスコ平和条約
〃31(1956)年
国際連合に加盟
〃38(1963)年 9月 埼玉県与野市円阿弥2-11-26(当時)に淑徳与野高等学校新校舎完成 埼玉県与野市円阿弥に淑徳与野高等学校の校舎を移転<昭和38(1963)年>
〃39(1964)年
東京オリンピック開催
〃41(1966)年 3月 普通科、商業科、保育科の3科を併設した総合高等学校となる
〃47(1972)年
沖縄返還
円阿弥キャンパス全景<平成10(1998)年>
〃49(1974)年
高校進学率90%突破
〃53(1978)年 3月 商業科廃止
〃54(1979)年
共通一次試験スタート
〃60(1985)年 3月 保育科廃止
平成元(1989)年
ベルリンの壁崩壊
〃5(1993)年
Jリーグ開幕
〃7(1995)年
阪神・淡路大震災 Windows95発売
〃8(1996)年 3月 淑徳与野高等学校創立50周年 埼玉県さいたま市中央区上落合に淑徳与野中学校を開校<平成17(2005)年>
〃9(1997)年
「京都議定書」締結
〃13(2001)年
アメリカ同時多発テロ
〃14(2002)年
学校週5日制実施
4月 「淑徳」創立110周年
〃17(2005)年 4月 埼玉県さいたま市中央区上落合(現在地)に淑徳与野中学校開校 埼玉県さいたま市中央区上落合に高校キャンパスを移転<平成27(2015)年>
〃23(2011)年
東日本大震災
〃24(2012)年 4月 「淑徳」創立120周年
〃27(2015)年 4月 埼玉県さいたま市中央区上落合(現在地)に淑徳与野高等学校新校舎完成、移転。中学校と高等学校が共通キャンパスとなる